
ゲームボーイ
1989年4月に任天堂が発売した携帯型ゲーム機。モノクロ液晶で性能も地味だったが、優れたバッテリー持続性と低価格が評価され、1996年のポケットモンスター発売で爆発的ヒットに。携帯ゲーム市場を完全に復活させた革命機。
RANKING売れたソフト トップ10
数え方: 世界での販売本数(Wikipedia 英語版の一覧より)
ポケットモンスター 赤・緑
テトリス
ポケットモンスター 金・銀
スーパーマリオランド
スーパーマリオランド2 6つの金貨
ドクターマリオ
ポケモンピンボール
スーパーマリオランド3 ワリオランド
星のカービィ
スーパーマリオブラザーズデラックス地味だけど強かった理由
1980年代後半、ゲーム機の進化競争はカラー化と高性能化が当たり前だった。セガのゲームギア、NEC-HEのPCエンジンGT、アタリのLynxは、次々とカラーで出現。任天堂の横井軍平は「ライバルがカラーで出たらウチの勝ち」と予言した。理由は単純。カラー液晶は消費電力が高く、バッテリーの持ちが悪い。ゲームボーイはモノクロに徹して電池持続性を優先させ、本体と電池をどこにでも持ち運べる自由さを獲得した。当時の任天堂社長・山内溥は「カラー化すればモノクロと比較して電池の寿命が十分の一しかない」と発言するほどで、この判断がいかに重要だったかが分かる。
価格も安い。ライバル機は2万円以上だったが、ゲームボーイは1万2500円。子どもたちが親に買ってもらいやすい価格設定が、市場を大きく広げた。開発当初、任天堂の社内でさえ「今さらモノクロで売れるのか」と疑問の声が上がっていたほど。だがこれが大逆転の一手だった。
ポケットモンスターで再生
1996年3月末時点で世界4766万台を売り上げていたゲームボーイだが、新型機の登場で衰退期に入っていた。そこへ1996年2月、タイトル『ポケットモンスター赤・緑』が放出される。単純なRPG機構に、通信ケーブルでの交換・対戦機能を組み合わせたこのゲームは、子どもたちの間で『ポケモン』という流行語を生み出す。アニメ化、カードゲーム化などのメディアミックスも相乗効果を生み出し、ゲームボーイは息を吹き返した。
派生機種たち
液晶の見づらさが問題視されたため、1996年にはゲームボーイポケット(小型軽量版)が、1998年にはゲームボーイライト(バックライト搭載版)、ゲームボーイカラー(カラー液晶版)が相次いで発売。シリーズは2001年のゲームボーイアドバンス発売まで、16年間『ゲームボーイ』の名を冠し続けた。この長寿命さは、携帯ゲーム機の歴史の中でも稀な成功例だ。
知っておきたい豆知識
ゲームボーイの液晶は、初期ロットで「ライン抜け」という水平・垂直の筋が出現する故障が多発した。原因は信号ケーブルの接触不良。今でも初期型で画面が正常なものは非常に少ない。
1991年の湾岸戦争では、任天堂が慰問品としてゲームボーイを兵士に提供。火災で焼けた個体が、後にニューヨークの任天堂直営店で『テトリス』をプレイし続けたまま保管展示されていた(2024年に展示終了)。
くわしい仕様
| 発売日 | 1989年4月21日 |
|---|---|
| 発売時の価格 | 12,500円 |
| 販売台数 | 世界累計4766万台(1996年3月末時点) |
| 画面 | 2.45インチSTN液晶モノクロ(4階調、160×144ドット) |
| 電源 | 単3形乾電池4本(最大30時間連続プレイ可能) |
出典
- Wikipedia 日本語版・英語版のゲームボーイに関する記事